episode2 命を託す日

 

子どもたちが家を出て、それぞれ家庭を持ち、私たち夫婦の二人暮らしが始まりました。

身体が丈夫なうちは旅行へ出かけて楽しんだり、互いに趣味に興じたり、それなりに充実した日々を過ごしていたのですが、主人が軽い脳梗塞を患い、自由に身動きが取れなくなってしまいました。

 

主人は、幸い軽い後遺症だけ残して普通に生活できるまでに回復しましたが、無理ができなくなったので、私たち夫婦は家にこもりがちになりました。

時間が経つのが遅く感じられ、寂しさというか虚しさというか、心のどこかにぽっかり穴が空いたような、そんな気分になる事が多くなり、次第に私はふさぎ込むようになりました。

主人も、自分のせいで、と気にするようになり、私たちの関係もぎくしゃくするようになってしまいました。

 

そんな時、たまたま通りかかったペットショップで見かけたのが、小さな柴犬でした。

無邪気な瞳でこちらを見て、尻尾を振っている姿に釘付けになりました。

 

「かわいい・・・」そう呟いて柴犬を見つめていると、店員さんが「だっこしてみますか?」と聞いてくれたので、抱き上げてみました。そんな私を見て、主人が「飼ってみるか」と言い出したのです。

「もう子どもたちもいないし、家を長く空ける事もないし、寂しい二人暮らしには丁度良いんじゃないか」

 

その言葉で、柴犬は我が家にやって来ました。

子どもというよりも、孫のような感覚で、それはそれは溺愛しました。

柴犬も私たち二人に懐き、散歩や食事をねだったり、甘えて膝の上に乗ったり、毎日色々な表情を見せてくれました。

 

私たちの生活にもハリが出て、笑顔も会話も増えました。

子はかすがいと言いますが、柴犬はまさに私たちのかすがいでした。

 

しかし、悲しい事が起きたのです。主人が脳梗塞を再発し、一命は取り留めたものの介護が必要になってしまったのです。

そして、私も次第に身体にガタが出はじめて、ヘルパーさんの力が無いと日常生活を送る事が難しくなってきたのです。

 

もっと長く元気で生きて、柴犬の命をきちんと看取ってやれると思っていただけに、まさかこんなに早く自分たちに終わりが近づいてしまったなんて、とてもショックな事でした。

 

柴犬を飼うと決めた時に「ちゃんと看取ってやってください」と言われた言葉が蘇り、胸が痛みました。このまま無責任に飼い続けても、この子の世話がまともにできなくなる可能性の方が高くなり、私は悩みました。

 

息子と娘がいますが、ペット不可のマンション暮らしのため、預ける事はできませんでした。

見かねた娘が、柴犬の里親を探したらどうか、と提案してくれて協力してくれました。

 

今はインターネットを使って色々な事ができるようで、娘はあっという間に里親希望の方を見つけてきました。

 

その方は私たちの家のすぐ近くに暮らす若い夫婦で、結婚して引っ越してきたばかりだといいました。奥さんの実家で柴犬を飼っていて、実家を離れて寂しくて新しい犬を飼おうか検討していたところ、里親募集の告知を見かけて手を挙げてくれたそうです。

 

私は夫婦に事情を話し、柴犬を託す事にしました。

夫婦は私たちに「家が近いので、体調が良い日はぜひ会いに来てください。私たちも時々この子の顔を見せにお邪魔しますね」と言ってくれました。

 

寝たきりの主人のもとへ柴犬を連れていって挨拶させると、主人は涙を流して、あまり動かない手をがんばって動かして頭を撫でました。柴犬も事情が分かるのか、少し寂しそうに主人の手をペロペロ舐めていました。

里親になってくれる夫婦も挨拶しに来てくれました。

 

「今日が、この子の第二のうちの子記念日ね」

私がそう呟くと、夫婦は「これからは4人でこの子の成長を見守っていきましょう」と温かい声をかけてくれました。

 

命を預かるという事は、とても大きな責任を伴う事です。

最期までそばにいてやる事、どんな事があっても見捨てない事、それができなければ、尊い命を預かる資格は無いのです。

 

今、私たちは大切な柴犬の命を、若い夫婦に託しました。

ほぼ毎日散歩のたびに顔を見せに来てくれるので、柴犬が幸せに暮らしているという事が分かり、とても安心ですし、私たち夫婦の心の支えにもなっています。

私たちもまた、とても幸せだと実感しています。

 

 

うちの子記念日普及協会

※この物語はフィクションです